2022年3月14日月曜日

To be continued


”何か起きるんじゃないか?”と言われてた1999年がしれっと過ぎ去った2000年。
僕はこの年に、神奈川にやってきた。

僕の愛機だったEG-6と共に。

仕事の都合だったのだが、人生の大半を”車”と”水窪ダム”に捧げてた僕にとってはあまり望んだ転勤では無かった。
その当時は水窪ダム以上に面白くレベルの高い峠なんて無いと思ってたからだ。
だから、関東の峠は名前だけは知っていたが、”ナンボのもんじゃい”と思ってた。

とは言え、当時の僕は普通のサラリーマン。
社命に逆らうことなど出来ず、僕は渋々神奈川県へ転勤。

地元に比べれば週末の楽しみの”幅”は大きかったが、僕はやっぱり峠を走っていたかった。
走れる場所を教えてもらったのが、今の箱根某所。

そこで僕は朝焼けさんと共にK氏(悪2000)に出会うことになった。

当時彼は白いS2000に乗っていて、水窪ダムと同じように誰彼構わず狩っていた僕は
”良いペース”で走っていた彼に勝負を挑んでいた。
今とは違い”有象無象の一人”だった僕は、朝焼けさんに喧嘩を売ってはボコボコにされる事を繰り返していた中で
彼だけが唯一定期的に遊べる相手だった。

当時はお互い名前も年齢も知らなかったが、見かけたら一緒に”殴り合う”ような
一期一会の相手とはまた別の特別な相手だった。

その後僕はEG-6を降り、DUCATI1198にハマり、またS2000で箱根某所を走り始めた
時を同じくして彼もドイツから帰国し、S2000で再び箱根某所を走り出した。


当時、僕らは”Y中組”として名前を売り出し中ではあったが、比較的ターボ車の多い僕の周りでも
同じ初期型S2000で、しかも同じように派手なエアロガジェットを一切持たず
メカニカルグリップのみで戦う彼は、当時と同じくやはり特別な相手だった。

そんな彼が再び箱根を離れる。
社命なので仕方がないとは言え、やはり寂しく感じる。

僕は箱根某所を走るのが好きだ。
同じようなレベルで走れる人がいれば尚楽しい。
僕は彼と一緒に走る事が楽しかったし、それは彼もそうだろうと思っている。

だから、この縁にはまだ続きがある。

その時がいつになるかは分からないが、彼が再び戻ってきた時また盛大に”きゃ〜ん”と言わせてやろうと思う。
それが、ここ箱根某所の流儀であり礼儀なのだ。

それを心待ちに、僕はまた今年も走り出す事だろう。


追記
エンジンOHを含む色んなアップデートが終わったら、S2000の慣らしがてらそっちに遊びに行きますね〜!!


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2 件のコメント:

  1. S2同士で 一緒に走るのは コノヤロー感 大 で特別に 楽しんでました。
    また 一緒に走る時を 楽しみにしてます。
    あっちでも 踏みきれる某所 を探さねば。
    2022年 も 安全運転 で。

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