2013年7月22日月曜日

河を渡って木立を抜けて





何か、こいつと一緒だと何しても楽しいわ。
Ducatiだし1198だし、乗るにはそれなりの犠牲と代償が必要だが
得られるモノはそれ以上。

買って良かった、嫁いできてくれてありがとうと、迷子になりながらそう思いました。

2013年7月15日月曜日

ツール・ド・ヒャッハー











箱根新道→伊豆スカイライン→迷子→西伊豆スカイライン→お茶漬け→迷子
→畳の宿湯の花亭→伊豆スカイライン→芦ノ湖スカイライン(通常業務)→ヒグラシ
→箱根新道→薄皮あんぱん→帰宅

パーフェクツ!! Σd(≧ω≦*) グッ

2013年7月14日日曜日

999R




・・・999Rって高っかいのな。
喉から手が出る程吃驚したわ。

Edge






Abnormal Humanity Organization
日本名”世界ヘンタイ機関”、通称AHOと呼ばれる特務機関に私は所属している。

日本では差別的に使われている”ヘンタイ”という言葉だが
世界では”ある能力が突出している”個人を指す場合に使うのが一般的であり
グローバルスタンダードになっている。

イノベーションという言葉が市民権を得たように、昨今、世界は変革の最中にあり
そのような時代では”尖った能力”を持つ人間が、より必要とされる。

だが、ある能力に秀でた人間は、平均的な人間が持つ至極当たり前の能力、要素が著しく
欠落している場合が在る。

結果、上手く社会に溶け込めず孤独を強める結果となり、才能を開花させる事無く
排除されてしまう場合が多々在った。

そこで国連は、当時バチカンに本部を置いていたAHOの前身である”社会復帰不能者対策機構”
に試験的に”度を超した上級のヘンタイ”共を集め、コミュニティに対応できるよう
教育を施し、また外界からの謂れの無い批判から彼らを守り無用の摩擦、衝突を避ける
為の組織を作った。

それが”AHO”である。

だが、元々何かを強制される事を極端に嫌う彼らは、基礎教育の過程で疲弊し始め
対人能力の獲得と共に元々持っていた”尖った能力”を欠落し始めた。

その為、彼らが持つ”尖った部分”維持させる為に導入されたのが”箱根プログラム”である。
つまり、今朝私が参加した所謂”早朝鍛錬”だ。

余談だが、このプログラムは一般人との無用な接触、摩擦を避ける為早朝のある時間だけ
行われる、”ある程度閉鎖された”場所で行われる時限プログラムである。
※私のブログは真面目に見ると頭が悪くなります。


今朝の訓練には久しぶりに拓さんが参加していたが、どうやら彼は一般社会との接点を
持ちすぎた為に彼の”尖った能力”が少し衰えてしまったらしい。

敢えて言おう。
我々は、どうあってもバカであり所詮バカであり結局バカなのだ。

外道はどこまで行っても外道であり、何をしても外道味にしかなり得ない。
外気温が30度を越える中、レザースーツに身を固め筋肉痛になるまでニコニコしてる
など一般社会の常識を逸脱した上級のドヘンタイである。

走り終えた充実感と安い缶珈琲の味がそれを証明する。
だが、人生の実と真実はここにあるのだ。


またのお越しをお待ちしておりますよ♫

2013年7月8日月曜日

Lost





挑戦と無謀は紙一重。
今なら分かる。


僕には重大な疾患が在る。
先天性自己位置消失症候群、つまり方向音痴だ。

漸くそれを認識し始めた最近は、あまり知らない所を走らないようになった。
箱根某所を走れれば幸せな安いオトコの僕は、それでもなんら問題は無かった。

問題なのは、”この先どうなってるんだろう?”という知的探究心の存在だ。
これは人間の持つ原始的欲求のひとつであり、誰もが等しく持つものだ。

ある者は険しき頂を目指し、またある者は極北の果てを目指した。

”・・・行ける”
根拠の無い自信を得た僕は、僕の知らない道を開拓したいという、自らの欲求に身を委ねた。

そして僕は、箱根の山の中で一人頭を抱えた。
迷ったからだ。

知的探究心の後押しは甘い罠だった。
茹だるような夏の日、僕の目からは大量に汗が流れていた。

そもそも、”林道みたいな峠道なら一本道だろう”という思い込みが間違いだった。
それに気付いたのは何回かの分れ道を過ぎた後だ。

記憶を頼りに戻るも、見た事の無い風景ばかり。
”圏外”を無情に映し出すファッキンな景色が、僕を打ちのめしていた。

”・・・はあ”
ため息にも似た丸い煙を燻らすも、グッダーなアイデアは何一つ浮かばない。

その時、前方から一台のベンツがゆっくりと下ってくるのが見えた。
僕にはその綺麗な銀色のベンツがまるで天の使いのように思えた。

この車に付いて行けばきっと帰れる。
その時の僕には、これに縋るしか方法がなかった。

だが、プレッシャーにならないように距離をとって後ろに付いたにも関わらず
僕の想いが異様に映ったのか、前を走るベンツは全力で逃げ始めた。

”違う!そうじゃないんだ!”

僕は必死だった。
砂が浮く低ミュー路では、いつものシフトダウンでは簡単にリアがスライドする。
でも、僕は必死だった。
そんなことにかまってられる程余裕がなかった。
だから僕は必死だった。
7割のコーナーでリアをスライドさせ、ベンツのテールを追った。

勾配が緩やかになり記憶の片隅にある景色が現れた時、漸く僕はスロットルを緩める事が出来た。

多気筒独特のシルキーな排気音を残し去って往くベンツに感謝し、僕は路肩に相方を
停止させた。

タンクに手を添え二度ぽんぽんと叩き、”彼女”の労をねぎらう。
ふと見上げた空には、箱根の山に伸し掛るように入道雲が立っていた。

・・・もう夏だ。

冒険も程々にしよう。
七夕の日に、そう僕は誓いました。

EGOIST



先週も今週も、2週に渡って箱根は雲の中。
しかも下界は、CUBEじゃなくても熱暴走しそうな狂ったような夏の日。

週末のみピンポイントだなどと、まるで陰険な嫌がらせではないか。
最早この現象には”悪意”すら感じる。

そう、まるでミックスフライ定食に付いてくるトマトのような。
或は、馬鹿の一つ覚えのようについてくるハンバーグ定食の人参のような。

そんな時、僕はいつも傍若無人な”彼ら”を脇にそっと避けて、視線を交わさないようにする。

箱根でもそう。
箱根某所の機嫌が悪い時は、機嫌が良くなるまでじっと待つだけ。
そして機嫌が良くなったらまた静かに寄り添うだけのこと。

まあ、それまでストレスメーターのリセットはお預けだw。

2013年7月6日土曜日

Test ride


1199STD。

テクノロジーの進化によって、様々なスキルが”平均化”されるようになった。
その恩恵は絶大で、機械がサポートをする事で、事故の低減や渋滞の緩和など
色々なヒトが様々な形でそのメリットを享受できるようになった。

ヒトが生み出すテクノロジーは、ヒトが”楽をする”方向にしか進化しない。
それは至極当然で素晴らしい事だが、その結果色んな意味で”個性”を失いつつ在る。

先週の土曜、こいつに試乗した時にそんな事を考えた。

勿論CBRのようなヒトに寄り添う優等生に比べれば、火の玉みたいな個性だし
眺めているだけでも綺麗な”バイク”だ。
特にサイドカウルの造形は秀逸だと思う。
やっぱり綺麗な深紅だしね。

ポジションは相変わらず辛いが、以前のモデルに比べればずっと乗り易いし軽いし
ちゃんと言う事聞いてくれる。

だが、どことなく”機械っぽいなあ”とか”冷たいなあ”という印象が正直なトコロ。
振動とか鼓動とか生き物感とか、そういう類いの比較ではなく。

結局僕はこの娘には惚れませんでした。
相変わらず綺麗な娘なんだけどね。