2016年12月11日日曜日

X-day














子供の頃、肉親以外の大人はものすごく特別だった。
そういう大人が家に来る度ワクワクドキドキしたのを微かに覚えている。
それは今時の子供でも変わらないのか、構ってほしくて一生懸命自分をアピールしてくる
姿が微笑ましい。

子供の社会も意外と大変そうだ。

まあ、それは姿形が子供だから微笑ましく映るのだが、僕等のような普通のおっさんが
それをやるのは風景としてうざったい。
いつも思うのだが、会社だったり飲み会だったり何かしらのコミュニティの場において
大体の人は空気を読んだり表情を読んだり”場を回す”事を考えるが、この会に於いてそれは一切通用しない。

子供以上に”オレの話を聞いてくれ”的な空気が充満するのだ。
人の意見に自分の意見を上書きしようと企むこの空気感は、近況報告と言うよりはある意味ディベートに近い。

普段相当抑圧されて生きているのだろうか。

兎に角自分の話を披露したくてたまらない連中にお酒が入り、しかも気兼ねなんて
概念が存在しないM澤邸故、余計にタチが悪い。

でもこういうのを”気の置けない間柄”というのだろう。
ま、普段抑圧されて生きているのも確かだろうが。

今年も騒ぐだけ騒いで散らかして終わった”溺死者の集い”。
周りが同年代ばっかりだからか、”意外と老けてない”って印象の方が強いのだが
狂乱の宴のツケは着実に次の日の身体にダメージを残す。

流石にもう若くはない。

普段は会社で暴れ、週末が来れば箱根で大暴れ。
そしてそれを20年来の友人と恣意的で自虐的な笑いとともに酒で流す。

”ロストジェネレーション”と呼ばれる僕等は、言われる程悪い人生ではないようである。

今年も皆様お疲れさまでした。
また来年、”生存確認”の溺死者の集いにてお会いしましょう。


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