かつて、勉強なんか大っっっっキライだった。
一応進学校だったウチの高校は、一言で言えば”3年かけて大学に合格する事”が目的。
あの当時は受験対策が教育の正義みたいな時代だった。
今考えてみても習ったものの殆どが”これ、社会に出てから役に立つの?”といぶかしむものばかり。
公式の意味とか、どうしてそういう式なのかなんて二の次。
とにかく暗記。
この大学に入りたい!なんて考えても無かった私にこんな詰め込み教育はほぼ地獄。
難しい問題が解けたりテストで良い点取ればそれなりに嬉しかったが勉強自体は面白くもなんとも無かった。
今、私は研究所に勤務している。
あの当時より余程学術的なことをしているが、つまらないと思ったことは無い。
日々是精進、勉強の毎日。
例えば寸法。
何か製品や部品を設計しようとした場合、必ず寸法を決めなくてはならない。
それは大概外部要因にて自ずと決まる。
スペース的な制約かもしれないし、仕様上のものかもしれない。
安全上必要な寸法かもしれないし、コスト的なものかもしれない。
稼動範囲上必要なのかもしれないし、強度的に必要なのかもしれない。
つまり全ての寸法に意味がある。
私はこの寸法に”意味付け”する過程が好きだ。
手計算で実施する場合もあるし解析で決める場合もある。
特に近似式を使った手計算が好きである。
技術的根拠を明確にする事が好きなのだ。
この場合、様々な知識が要求される。
数学は勿論、物理、材料力学、摩擦学(トライボロジー)、モノによっては流体力学や機構学だって
必要になる。
かつてあれほどキライだった学問。
今やそれにどっぷりつかった生活である。
英語にしてもそう。
学生時代は”世界の標準語が何故ニホンゴじゃないんだ”と思うくらい英語がキライだった。
しかし今は”異文化コミュニケーション”を楽しむ事が出来る。
きっかけは突然私の上司がフランス人になった事だ。
ジョージアのCMじゃあるまいし、まさか自分がそんな事態になるとは思ってもみなかった。
事前情報ではニホンゴが喋れるとのことだったが、蓋を開けてみれば英語とフランス語のバイリンガル。
彼は自信満々に”ダイジョーブ!”なんて言ってたが、彼の秘密兵器はweb上のTranslator。
あんな直訳機使えるかよなんて思ってたらやはり使い物にならず、私が英語を学ぶ事に。
最初はカッコいい英文を話すことに苦心していたが、意思の疎通と言う意味ではあまり十分ではなかった。
そこで、言い方をなるべくシンプルに”自分が話しやすい”英語を使ってみるとことのほか通じる事が分かった。
英語は、コミュニケーションがとれる事がわかると途端に楽しくなる。
かつて、同僚に
「If you are asked some work from someone, you should say like that ,as smiley as possible」
「OK! Teach me!」
「わたしの・・・」
「ワタシノ」
「知った事では・・・」
「シッタコトデハ」
「ありません。」
「アリマセン」
「Oh! You seem so Japanese!」
「Really?Thank you!」
数時間後
「誰!変な日本語教えたのは!」
と会社に日本語教室の講師として来ていた先生に怒鳴られるくらい異文化コミュニケーションを
楽しんでいた。
かつての私と今の私。
一番の違いは知的好奇心の欲求だろう。それと目的意識とモチベーション。
勉強を”やる”のと”やらされる”では大きく違う。
今は毎日が勉強だ。
しかしそれはかつてのように、決して辛い毎日ではない。
仕事が楽しいと言えるのは多分幸せな事だ。
しかしながら家庭や身体を壊してまですることじゃない。
私がworkaholicかどうかは分からないが、人生においては仕事より健康や家庭の方が大事だろう。
だから、みんな早く帰ろうよ・・・。
終電近くの電車でなんであんなに混むの?
始点から終点まで、みたいな乗り方してるのに
座れるのが最後の15分だけってどゆこと?
長々と偉そうに書きましたが、今日の我が魂の叫びは最後の三行ですw
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