2011年3月16日水曜日

誇りと尊厳

自宅待機三日目。
明日からは通常勤務。
ただ、電車の運行状況を見て、フレキシブルに対応しようと思ってる。

ここ数日、徐々に日常が戻って来つつある。
TVで連日のように被災地の状況を伝えても、計画停電が実施されようともだ。

それはとても良い事だと思う。
しかし、今が非常時である事に変わりは無い。

連日、ガソリンや日用品、食料品の買占めが行われている。
実際、ウチの近所でも似たような事が起きている。

今被災地では、被害に遭われた方々が皆で助け合い必死に生きている。必死にだ。
ところが、遥かに恵まれた状況下にある我々が浅ましい行為を行っている。
助け合いどころか、我先にと我欲に必死だ。

極論すれば、我々”支援をする側”は被災者の方々と苦しみを共有することが目的ではない。
彼らの苦しみを少しでも取り除いてあげる事が我々の責任だと思う。

もし日々の食事を一食我慢すれば、彼らの食事が一食でも増えるというなら私は喜んで断食をする。
もし、ガソリンや灯油を1L我慢すれば、彼らが少しでも暖を取れる状況になるならばいくらでも我慢しよう。

しかし、現実はそうではないし、我々もきちんと生活を行わなければならない。

繰り返すが、今は非常時なのだ。
この状況下でもいつも通りの生活を望むのは確かに人間の心理かもしれないがあまりにも情けない。

何も自分のキャパをオーバーするような支援が必要なわけじゃない。
ちょっとづつ、少しだけでいいから被災地で今も戦っている人達の事を考えて欲しい。

政府やマスコミに対する批判もそうだ。
姫井由美子やフジテレビが何しようがそんな事はどうでもいい。

必要なら後で”吊るし上げ”にでもすればいい。
今は被災者に対して何ができるか、どうしたら援助ができるかに我々の考えを向けるべきだ。

一日一本缶コーヒーを我慢して募金するのも立派な支援。
節電は間接的かもしれないが、必ず役に立つはずだ。
献血は今我々が出来る一番直接的な支援かもしれない。
(ただし、血液には有効期限があるので継続的に供給されるのが理想)
もし、祈る事しかできないなら祈りましょう。

でも、人間を救うのは神様なんかじゃない。

人間だ。
我々人間のみが彼らを救えるのだ。

そして我々ならできるはずだ!!

東北人は精神的に強いんだ。
地震なんぞに決して負ける事は無い。

だから私も可能な限り支援します。

※今も被災地では連絡手段が無く、避難されている方々が自らの状況を家族に連絡できてないと聞く。
何人かの被災者の方がTVを通じて家族に連絡するというような事があったが、あまりにも人数が
限られている。ならば避難場所に張られている安否情報や実際に避難されている方が直接
U-stream等で発信するという事はできないだろうか。これならTV等と違って情報発信に特化できるし
PCと環境さえ揃えばできる。
今は被災された方々も我々も何より情報や全貌把握が大前提ではないだろうか。

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