2013年6月16日日曜日

雇用の流動化

昨今、至る所で議論されているテーマである。
事実上終身雇用が崩壊した日本では、賛否を問わずこれは”世の流れ”であるように思う。

そしてこれも至る所で議論される”新規産業の創出”。
それは”古い産業”の淘汰と同義である。

つまり今叫ばれる”日本の成長”に”新規産業の創出”が必要なら
いずれにせよ”雇用の流動化”と”一時的な失業率の増加”は不可避だ。

古い産業から新しい産業へ人を移す。

そういう事を全て踏まえて議論するなら兎も角、今はどちらかと言えばそれは前提条件で
”安易な解雇”に対する賛否ばかりが注目されているように思う。
自然、”セーフティネット”や”雇用の受け皿”が議論の中心になる。

これはどちらかと言えば”御上目線の議論”である。

だが実際に移動する(移動させられる)のは、労働者である。
”大丈夫、”つなぎ”も”次”もちゃんとあるから、安心してあっち行け”
と言われて”はい、そうですか”とそう簡単に動くだろうか?
そこで働く人達はもの言わぬ駒ではなく、人である。意思もあれば感情もある。
普通に考えれば長年同一の職場で培った技術や才能は、同じように同一の職場もしくは
同じ業界で活かしたいだろう。
終身雇用の意向が強い日本人は特にこの傾向が強い。

こういうメンタリティの元では、どんなに受け皿やセーフティネットが存在しても
”労働力の移動”の際に、ネガティブイメージを引きずってしまう。
それでは”次の職場”で良いパフォーマンスを発揮するのは不可能に近い。

僕は、”雇用の流動化”の最大の焦点は”労働者がそれを受け入れる覚悟があるか”
どうかだと思っている。

もっと言えば、”自分のキャリアは自分で造る覚悟”があるかどうか、だ。

雇用の流動化で良く比較される欧米諸国の例で議論のネタに引き出されるのは
”解雇はし易いが、それに対する保証もちゃんとある。だからドライに人も切れるし
また次も探し易い。”

ということだ。
これは事実だろうし(だからこそ日本でも似た事をやろうとしている)
”新規事業のベンチャー企業が失敗しても、一度つぶしてまた再起し易い”
という意味では良い事だろうと思う。

ただし、欧米諸国では”キャリアプランは自分で造る”が社会的なコンセンサスとして
当然のようにある。
対して日本では、”キャリアはある程度会社が用意してくれる”ものだった。
”部長になるには〇〇事業所を経験しなくてはならない”、とか
”2年中国に行ったら次は所長”みたいな事はその典型だろう。

これだけマインドセットが違う中で、制度だけを導入してもはたして上手く行くのか。
僕はそうとう難しいのでないかと思う。

雇用が流動化してゆく社会の中で、制度が在ろうが無かろうが敏感な人達程
”キャリアプランは自分で造り”そして”自分のキャリアを磨く為”にどんどん
色んな世界に挑戦して行くし、制度や世相で否応無しに対応を迫られる人は
どちらかと言えばそれ以外の”あまり動きたくない”と考える人達が大多数だからだ。

そしてこういうあまり景気の良くない状況での転職はあまりメリットがない。
(アベノミクスで株価が上がっても、根本的な企業の競争力は変わってない)
元パナソニックだろうが、元シャープだろうが結局の所、”売れる人しか売れない”のが
今の現状だ。

”モノが売れない”今の時代、”ヒト”も同じ状況である。
ならばモノと同様、ヒトも”付加価値”をつけなければ”売れない”のは火を見るより明かだ。
”誰がやっても同じ事”なら、”安い方が良い”と考えるのは誰でも一緒だろう。

つまり、”保守的な労働者”にとってマインドリセットしなければ
何一つ明るい材料は見えてこないのである。

それでもそういう世界で生きて行かねばならない我々にとって、重ねて言うが、雇用が
流動して往く世界で大事なのは
”そういう世界でもちゃんと生きて行けるようなキャリアプランを描く事”
である。
セーフティネットや受け皿は二次的な話だ。

”政府が・・・”
”会社が・・・”
そういった事を叫ぶ前に、先ずは自分のキャリアを見直す事が必要ではないのだろうか。


雇用の流動化は世の中の”流れ”だ。
もう始まっているが、本格化するのはこれからだ。

”自分に何が出来るか”
”自分は何がしたいのか”

その為に何をしたら良いのかを考える事が、今最も大事な事であると僕は思う。

2013年6月9日日曜日

Good day


誰かに影響された訳ではないが、今朝はウチの末娘と箱根某所でワルツを踊る事に。
震える魂を宥めつつ、規則的なビートを刻む。

途中、見知らぬS15も加わり一往復だけのタッグマッチ。
紳士的な接近戦はまるでフェンシング。
だが、最近漸くS2000が理解でき始め楽しくなってきた箱根某所での
リズムが途端に破綻してしまった。

しかしながら、そのおかげで課題も見えた。
今の状態は、自分のスキルも含めて、楽しいが無駄が多い。
それを一つずつ改善せねば。

実に有意義な時間だった。


帰宅後、何故か無性に焼いたパンが食べたくなり、焼いて塗ってみるものの
狸みたいな色になってしまい、まるで煎餅のように。

ま、これはこれで味がある。
と、しておこう。


その後、病的なスケジューリングの仕事で堕落してしまった我が肉体を絞る為
我が愛機ラブリーエンジェル号(人力)で往復100kmのチャリンキング。

出発前に、パンに塗ったバターの匂いにでも惹かれたのか、近所の城島さん(♂)が
玄関前に。

もう夏だ。


流石に疲れた我が肉体を休める為、帰宅後、風にあたりながら波音を聞いていると
何故か劣情が押さえきれなくなってしまった。

そこで、今日二回目の箱根某所でウチのムル子さんを押し倒す事に。


うむ。
火照ったカラダに冷たい珈琲が気持ち良い。

流石にもう満足である。
と、いうよりもフロントタイヤの2/3、特に右半分がスリックになっておる。

なんだかピレリはいつもこうだな。
それほどフロント依存のバイクではないと思うのだが・・・。
どちらにせよ、なんとかせんとな。


なんだか今日は随分色んな事をした。
まあ、疲労の度合いも尋常ではないが、気持ちの良い虚脱感。

やっぱり休みは楽しまないとね。
良い休日になりました。

2013年5月13日月曜日

C.K.engineering



以前お世話になった人が、紆余曲折を経て独立起業した。
今では最早絶滅危惧種の車バカ、いや”只のバカ共”が、このご時世信じられない
ぐらい集まっていた。

エンジンもボディも足回りも何でも出来るこの人の最大の魅力は、技術力よりも
その人柄だろう。

商売とはつまり信頼であり、結局”人”なのだ。

2013年5月6日月曜日

実はラップフィルムだが


”逆光は勝利”が真理であるように、カーボナイズは正義である。

人の進化がシリコンとカーボンの進歩の先にあるなら、その美しい編目模様に
心躍らせ、少しマットな表面に魂が震えるのは、人として自然な事だ。

材料置換は決して自己満足の世界ではない。
人類の英知の結集であり、そして我々にはそれを次代へと繋ぐ責任があるのだ。

2013年5月5日日曜日

Not worth to maintain current situation


血が騒ぐっていうのかねえ。
この感じ、久しぶりだ。

”人間”の言葉で言えば、ワクワクする、って事になるのかな。
ウチの御主人の顔に、そう書いてある(笑)。

まあ、”御主人”とは言ってもウチの御主人が望むのは単なる主従関係では無いよ。
無論アタシもそうだが、便宜上そう読んでるだけでね。

互いを高め合う関係とでも言うべきかな。
ちょうど”タービン”と”エンジン”みたいな関係、かもしれないね。

誰かが居てくれなければ身動きできないアタシら”車”には、動かしてくれる”誰か”が必要なんだ。
でも、”ただ動かす”だけじゃダメなんだよ。
特にアタシのような”異端”にはね。

アタシは、ただ輝いて生きていきたいんだ。
そして、アタシにとって最も輝ける瞬間は、己が能力を最も発露できる瞬間の事さ。

人間だってそうだろう?
自分の才能を活かせるなんて、とても”楽しい”事じゃないか。
アタシらだって同じさ。

アタシら車にとっては”走る”事が才能なんだ。

ただ、アタシら”車”は人間程複雑じゃない。
”自分の為”にやっている事でね。
”誰かの為に”や”何かの為に”なんて”理由”は元から存在しないのさ。

”走る”為に創られたアタシらは、”走る”事でしか自分の存在価値や理由を表現できないからね。

だから、今日のアタシは綺麗だろう?
アタシらは愛されれば幾らでも綺麗になる事が出来るのさ。
人間のオンナと一緒だよ。

でもね、アタシら”車”は相手を選べない、人間と違ってね。
今まで、己が才能を発揮する事無く生涯を終えた兄弟達を沢山見てきた。
アタシらの無惨な躯を写真に残して面白おかしく見せている本もあった。

同じ人間同士でも、そんな残酷な事しているのかい?

それでもね、アタシらは”車”にも”縁”というものがある事を信じているのさ。
人間と同じようにね。

だから、今のアタシは幸せなんだよ。
全部ではないが、その能力を発揮できる”機会”と”場所”を与えられているからね。
最もウチの御主人では、まだアタシを使いこなせてるとは到底言えないけれどね(笑)。

それでも、アタシは御主人を必要としているし、逆も然り。
それがアタシと御主人にとっての”縁”と言えるかもしれないね。


少し日が昇ってきたね。
もう一本走らないか?My master。
もっとアタシの”可能性”を見せておくれ。


2013年5月4日土曜日

Devote a HEART


これから日本はどこへ行こうとしているのか。
※元は下記





2013年4月21日日曜日

ロボット革命


※注:今回はロボットに興味の無い人には至極つまんね〜内容です。


少し前になるが、NHKで放送された”ロボット革命”。
メインはホンダのASIMOだったのだが、方針が変わったのだろうか?と思うぐらい
ASIMOの内部を公開していた。

実は今、人型ロボット:ヒューマノイドが熱い。
特に海外で。

キッカケは福島の原発事故。
危機に際し、何も出来なかった反省を踏まえ人間が活動できない極限状況下で人間
のかわりに危機に対応するロボットを開発しようというのが、米国で始まったためだ。

正確にはDARPA robotics challenge (以下DRC)という。

これに原発対応用ASIMOの開発も含めて放送したのが今回のロボット革命である。
一応ロボット関係者の端くれとしては見なければと思っていたのだが、実際に見て
ASIMOの洗練さ以外で気になったのは二つ。

各ロボットの機体構造とやたらとAIという言葉を使っていたこと。

まず、各ロボットの機体構造だがこれはどのロボットも至って”普通”。
今のASIMOがいつ設計されたのかは分からないが、それを加味してもASIMOは普通に見えた。
ただ、ASIMOの各関節がベルト駆動だったのが意外だった。
ベルト駆動であれば比較的モーターレイアウトに有利だが、ベルトそのものが一般品であり
必然的にベルト長が一般規定値に限定される為、言う程有利という訳でもない。

無論、ベルトを一から設計できる予算があれば問題は無かろうが、実際に製造する為には
多分今想像されている金額の一桁違いの予算が必要であろう。

それと、モーター+ベルト駆動のレイアウトである事から各関節で
”個別にセンシングしていない”事が予想される。

これは至極一般的な構造であり、ヒューマノイドにおいて僕が知る限り良く見られる構造だ。
だが一番気になったのは原発対応用のASIMOの下半身。

特に足首。

よく見ると足首のRoll軸はリンク機構になっており、ひざ下のモーターから
リンクが伸びていると推測できる。
これは少しでも足首を軽くする為であり、二足歩行二足走行では有利に働く。

気になったのは、これが原発用であり番組で紹介されていたASIMOのイメージCG
では”四つん這いでの匍匐前進”のようなものがあったことだ。

この場合、二足歩行時よりも遥かに大きな可動範囲が必要になる。
特に顕著なのは足首のPitch軸である。

この大きな可動範囲のPitch軸とリンクに因るRoll軸を両立させる足首構造が気になったのだ。
これは僕自身実際に計算し検証して確認してみようと思っている。

さてもう一つAIの話。
僕も含めて本質的にAIを知らない人からすればAIと言われると”自分で勝手に考えるもの”
と考えがちだ。

少なくともそういうイメージがついて回る。

だが、所謂ロボットは自分で”勝手”に考えて行動したり出来ない。
飽くまで与えられた入力に対し適切な値を出力しているに過ぎないのだ。

言い方を変えれば言われた事しか出来ない。
そういう意味ではロボットもパソコンもなんら違わない。 

そもそも現在のアーキテクチャでは、AIも突き詰めればプログラムであり
アルゴリズムに過ぎない。

どんなにセンサーを追加しても、CPUのコア性能を上げても人間のように
自発的に行動できたりはしないし、インスピレーションも生まれないのだ。

音声認識と発話に因る意図推定技術、膨大なマッチングデータベースで限りなく
人間側の命令入力作業は楽にはなるが、決して”自我”が生まれる訳ではない。

だが、今回のロボット革命ではまるでロボットに自我があるような言われ方をされていた。
僕はここに非常に違和感を覚えた。

福島の原発事故後、HONDAに寄せられた”ASIMOに原発作業が出来ませんか?”という
要請が表すように、ちゃんと説明しないとまた世の期待とロボットの現実が乖離して
しまうように思えてならないのだ。

HONDAの方も言っていたが、”実は何も出来ない”なんてもう通用しない。
だからこそ、言葉の使い方には気をつけなければと心底痛感した。


色々書いたが、例えNHKにどんな意図があるにせよ、ロボット技術の軍事転用に
対する是非があるにせよ、僕としては結構面白い内容だった。

番組を見た同僚が”(ASIMOに)勝てる気がしない”と零していたが、そもそも僕はASIMOと
勝ち負けを競う気など無い。

僕の相手はこの世界そのものだ。
そこに住む世界中の人々に”お〜!!””すごい!!”と言わせたい。
世界中の人々をワクワクさせたいんだ。

僕の目的はこの一点のみ。

ただ、それによって困っている事がひとつある。
仕事とプライベートの区別が曖昧になりつつある事だw

いよいよもって本格的にワーカホリックになりそうですw