昨今、至る所で議論されているテーマである。
事実上終身雇用が崩壊した日本では、賛否を問わずこれは”世の流れ”であるように思う。
そしてこれも至る所で議論される”新規産業の創出”。
それは”古い産業”の淘汰と同義である。
つまり今叫ばれる”日本の成長”に”新規産業の創出”が必要なら
いずれにせよ”雇用の流動化”と”一時的な失業率の増加”は不可避だ。
古い産業から新しい産業へ人を移す。
そういう事を全て踏まえて議論するなら兎も角、今はどちらかと言えばそれは前提条件で
”安易な解雇”に対する賛否ばかりが注目されているように思う。
自然、”セーフティネット”や”雇用の受け皿”が議論の中心になる。
これはどちらかと言えば”御上目線の議論”である。
だが実際に移動する(移動させられる)のは、労働者である。
”大丈夫、”つなぎ”も”次”もちゃんとあるから、安心してあっち行け”
と言われて”はい、そうですか”とそう簡単に動くだろうか?
そこで働く人達はもの言わぬ駒ではなく、人である。意思もあれば感情もある。
普通に考えれば長年同一の職場で培った技術や才能は、同じように同一の職場もしくは
同じ業界で活かしたいだろう。
終身雇用の意向が強い日本人は特にこの傾向が強い。
こういうメンタリティの元では、どんなに受け皿やセーフティネットが存在しても
”労働力の移動”の際に、ネガティブイメージを引きずってしまう。
それでは”次の職場”で良いパフォーマンスを発揮するのは不可能に近い。
僕は、”雇用の流動化”の最大の焦点は”労働者がそれを受け入れる覚悟があるか”
どうかだと思っている。
もっと言えば、”自分のキャリアは自分で造る覚悟”があるかどうか、だ。
雇用の流動化で良く比較される欧米諸国の例で議論のネタに引き出されるのは
”解雇はし易いが、それに対する保証もちゃんとある。だからドライに人も切れるし
また次も探し易い。”
ということだ。
これは事実だろうし(だからこそ日本でも似た事をやろうとしている)
”新規事業のベンチャー企業が失敗しても、一度つぶしてまた再起し易い”
という意味では良い事だろうと思う。
ただし、欧米諸国では”キャリアプランは自分で造る”が社会的なコンセンサスとして
当然のようにある。
対して日本では、”キャリアはある程度会社が用意してくれる”ものだった。
”部長になるには〇〇事業所を経験しなくてはならない”、とか
”2年中国に行ったら次は所長”みたいな事はその典型だろう。
これだけマインドセットが違う中で、制度だけを導入してもはたして上手く行くのか。
僕はそうとう難しいのでないかと思う。
雇用が流動化してゆく社会の中で、制度が在ろうが無かろうが敏感な人達程
”キャリアプランは自分で造り”そして”自分のキャリアを磨く為”にどんどん
色んな世界に挑戦して行くし、制度や世相で否応無しに対応を迫られる人は
どちらかと言えばそれ以外の”あまり動きたくない”と考える人達が大多数だからだ。
そしてこういうあまり景気の良くない状況での転職はあまりメリットがない。
(アベノミクスで株価が上がっても、根本的な企業の競争力は変わってない)
元パナソニックだろうが、元シャープだろうが結局の所、”売れる人しか売れない”のが
今の現状だ。
”モノが売れない”今の時代、”ヒト”も同じ状況である。
ならばモノと同様、ヒトも”付加価値”をつけなければ”売れない”のは火を見るより明かだ。
”誰がやっても同じ事”なら、”安い方が良い”と考えるのは誰でも一緒だろう。
つまり、”保守的な労働者”にとってマインドリセットしなければ
何一つ明るい材料は見えてこないのである。
それでもそういう世界で生きて行かねばならない我々にとって、重ねて言うが、雇用が
流動して往く世界で大事なのは
”そういう世界でもちゃんと生きて行けるようなキャリアプランを描く事”
である。
セーフティネットや受け皿は二次的な話だ。
”政府が・・・”
”会社が・・・”
そういった事を叫ぶ前に、先ずは自分のキャリアを見直す事が必要ではないのだろうか。
雇用の流動化は世の中の”流れ”だ。
もう始まっているが、本格化するのはこれからだ。
”自分に何が出来るか”
”自分は何がしたいのか”
その為に何をしたら良いのかを考える事が、今最も大事な事であると僕は思う。
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