2013年6月23日日曜日
Alone
土曜日の箱根某所。
S2000で上がるも、我一人ポツネンと。
誰も居やしねえ・・・。
どうも最近は日曜だけらしい。
そこで、ここぞとばかりにSと励むも、ハーフウェットの路面では
至る所でドリフト祭り。
やっぱダメか。
ダメね。
まあ、こんな日もあるさね。
それに、今朝の箱根の空気は最高に気持ち良かった。
それだけで良しとする。
無理すると死んでしまうのは、図らずも自分で実証してしまったしね。
この日は早々に切り上げのんびり帰りました。
2013年6月16日日曜日
雇用の流動化
昨今、至る所で議論されているテーマである。
事実上終身雇用が崩壊した日本では、賛否を問わずこれは”世の流れ”であるように思う。
そしてこれも至る所で議論される”新規産業の創出”。
それは”古い産業”の淘汰と同義である。
つまり今叫ばれる”日本の成長”に”新規産業の創出”が必要なら
いずれにせよ”雇用の流動化”と”一時的な失業率の増加”は不可避だ。
古い産業から新しい産業へ人を移す。
そういう事を全て踏まえて議論するなら兎も角、今はどちらかと言えばそれは前提条件で
”安易な解雇”に対する賛否ばかりが注目されているように思う。
自然、”セーフティネット”や”雇用の受け皿”が議論の中心になる。
これはどちらかと言えば”御上目線の議論”である。
だが実際に移動する(移動させられる)のは、労働者である。
”大丈夫、”つなぎ”も”次”もちゃんとあるから、安心してあっち行け”
と言われて”はい、そうですか”とそう簡単に動くだろうか?
そこで働く人達はもの言わぬ駒ではなく、人である。意思もあれば感情もある。
普通に考えれば長年同一の職場で培った技術や才能は、同じように同一の職場もしくは
同じ業界で活かしたいだろう。
終身雇用の意向が強い日本人は特にこの傾向が強い。
こういうメンタリティの元では、どんなに受け皿やセーフティネットが存在しても
”労働力の移動”の際に、ネガティブイメージを引きずってしまう。
それでは”次の職場”で良いパフォーマンスを発揮するのは不可能に近い。
僕は、”雇用の流動化”の最大の焦点は”労働者がそれを受け入れる覚悟があるか”
どうかだと思っている。
もっと言えば、”自分のキャリアは自分で造る覚悟”があるかどうか、だ。
雇用の流動化で良く比較される欧米諸国の例で議論のネタに引き出されるのは
”解雇はし易いが、それに対する保証もちゃんとある。だからドライに人も切れるし
また次も探し易い。”
ということだ。
これは事実だろうし(だからこそ日本でも似た事をやろうとしている)
”新規事業のベンチャー企業が失敗しても、一度つぶしてまた再起し易い”
という意味では良い事だろうと思う。
ただし、欧米諸国では”キャリアプランは自分で造る”が社会的なコンセンサスとして
当然のようにある。
対して日本では、”キャリアはある程度会社が用意してくれる”ものだった。
”部長になるには〇〇事業所を経験しなくてはならない”、とか
”2年中国に行ったら次は所長”みたいな事はその典型だろう。
これだけマインドセットが違う中で、制度だけを導入してもはたして上手く行くのか。
僕はそうとう難しいのでないかと思う。
雇用が流動化してゆく社会の中で、制度が在ろうが無かろうが敏感な人達程
”キャリアプランは自分で造り”そして”自分のキャリアを磨く為”にどんどん
色んな世界に挑戦して行くし、制度や世相で否応無しに対応を迫られる人は
どちらかと言えばそれ以外の”あまり動きたくない”と考える人達が大多数だからだ。
そしてこういうあまり景気の良くない状況での転職はあまりメリットがない。
(アベノミクスで株価が上がっても、根本的な企業の競争力は変わってない)
元パナソニックだろうが、元シャープだろうが結局の所、”売れる人しか売れない”のが
今の現状だ。
”モノが売れない”今の時代、”ヒト”も同じ状況である。
ならばモノと同様、ヒトも”付加価値”をつけなければ”売れない”のは火を見るより明かだ。
”誰がやっても同じ事”なら、”安い方が良い”と考えるのは誰でも一緒だろう。
つまり、”保守的な労働者”にとってマインドリセットしなければ
何一つ明るい材料は見えてこないのである。
それでもそういう世界で生きて行かねばならない我々にとって、重ねて言うが、雇用が
流動して往く世界で大事なのは
”そういう世界でもちゃんと生きて行けるようなキャリアプランを描く事”
である。
セーフティネットや受け皿は二次的な話だ。
”政府が・・・”
”会社が・・・”
そういった事を叫ぶ前に、先ずは自分のキャリアを見直す事が必要ではないのだろうか。
雇用の流動化は世の中の”流れ”だ。
もう始まっているが、本格化するのはこれからだ。
”自分に何が出来るか”
”自分は何がしたいのか”
その為に何をしたら良いのかを考える事が、今最も大事な事であると僕は思う。
事実上終身雇用が崩壊した日本では、賛否を問わずこれは”世の流れ”であるように思う。
そしてこれも至る所で議論される”新規産業の創出”。
それは”古い産業”の淘汰と同義である。
つまり今叫ばれる”日本の成長”に”新規産業の創出”が必要なら
いずれにせよ”雇用の流動化”と”一時的な失業率の増加”は不可避だ。
古い産業から新しい産業へ人を移す。
そういう事を全て踏まえて議論するなら兎も角、今はどちらかと言えばそれは前提条件で
”安易な解雇”に対する賛否ばかりが注目されているように思う。
自然、”セーフティネット”や”雇用の受け皿”が議論の中心になる。
これはどちらかと言えば”御上目線の議論”である。
だが実際に移動する(移動させられる)のは、労働者である。
”大丈夫、”つなぎ”も”次”もちゃんとあるから、安心してあっち行け”
と言われて”はい、そうですか”とそう簡単に動くだろうか?
そこで働く人達はもの言わぬ駒ではなく、人である。意思もあれば感情もある。
普通に考えれば長年同一の職場で培った技術や才能は、同じように同一の職場もしくは
同じ業界で活かしたいだろう。
終身雇用の意向が強い日本人は特にこの傾向が強い。
こういうメンタリティの元では、どんなに受け皿やセーフティネットが存在しても
”労働力の移動”の際に、ネガティブイメージを引きずってしまう。
それでは”次の職場”で良いパフォーマンスを発揮するのは不可能に近い。
僕は、”雇用の流動化”の最大の焦点は”労働者がそれを受け入れる覚悟があるか”
どうかだと思っている。
もっと言えば、”自分のキャリアは自分で造る覚悟”があるかどうか、だ。
雇用の流動化で良く比較される欧米諸国の例で議論のネタに引き出されるのは
”解雇はし易いが、それに対する保証もちゃんとある。だからドライに人も切れるし
また次も探し易い。”
ということだ。
これは事実だろうし(だからこそ日本でも似た事をやろうとしている)
”新規事業のベンチャー企業が失敗しても、一度つぶしてまた再起し易い”
という意味では良い事だろうと思う。
ただし、欧米諸国では”キャリアプランは自分で造る”が社会的なコンセンサスとして
当然のようにある。
対して日本では、”キャリアはある程度会社が用意してくれる”ものだった。
”部長になるには〇〇事業所を経験しなくてはならない”、とか
”2年中国に行ったら次は所長”みたいな事はその典型だろう。
これだけマインドセットが違う中で、制度だけを導入してもはたして上手く行くのか。
僕はそうとう難しいのでないかと思う。
雇用が流動化してゆく社会の中で、制度が在ろうが無かろうが敏感な人達程
”キャリアプランは自分で造り”そして”自分のキャリアを磨く為”にどんどん
色んな世界に挑戦して行くし、制度や世相で否応無しに対応を迫られる人は
どちらかと言えばそれ以外の”あまり動きたくない”と考える人達が大多数だからだ。
そしてこういうあまり景気の良くない状況での転職はあまりメリットがない。
(アベノミクスで株価が上がっても、根本的な企業の競争力は変わってない)
元パナソニックだろうが、元シャープだろうが結局の所、”売れる人しか売れない”のが
今の現状だ。
”モノが売れない”今の時代、”ヒト”も同じ状況である。
ならばモノと同様、ヒトも”付加価値”をつけなければ”売れない”のは火を見るより明かだ。
”誰がやっても同じ事”なら、”安い方が良い”と考えるのは誰でも一緒だろう。
つまり、”保守的な労働者”にとってマインドリセットしなければ
何一つ明るい材料は見えてこないのである。
それでもそういう世界で生きて行かねばならない我々にとって、重ねて言うが、雇用が
流動して往く世界で大事なのは
”そういう世界でもちゃんと生きて行けるようなキャリアプランを描く事”
である。
セーフティネットや受け皿は二次的な話だ。
”政府が・・・”
”会社が・・・”
そういった事を叫ぶ前に、先ずは自分のキャリアを見直す事が必要ではないのだろうか。
雇用の流動化は世の中の”流れ”だ。
もう始まっているが、本格化するのはこれからだ。
”自分に何が出来るか”
”自分は何がしたいのか”
その為に何をしたら良いのかを考える事が、今最も大事な事であると僕は思う。
2013年6月9日日曜日
Good day
誰かに影響された訳ではないが、今朝はウチの末娘と箱根某所でワルツを踊る事に。
震える魂を宥めつつ、規則的なビートを刻む。
途中、見知らぬS15も加わり一往復だけのタッグマッチ。
紳士的な接近戦はまるでフェンシング。
だが、最近漸くS2000が理解でき始め楽しくなってきた箱根某所での
リズムが途端に破綻してしまった。
しかしながら、そのおかげで課題も見えた。
今の状態は、自分のスキルも含めて、楽しいが無駄が多い。
それを一つずつ改善せねば。
実に有意義な時間だった。
帰宅後、何故か無性に焼いたパンが食べたくなり、焼いて塗ってみるものの
狸みたいな色になってしまい、まるで煎餅のように。
ま、これはこれで味がある。
と、しておこう。
その後、病的なスケジューリングの仕事で堕落してしまった我が肉体を絞る為
我が愛機ラブリーエンジェル号(人力)で往復100kmのチャリンキング。
出発前に、パンに塗ったバターの匂いにでも惹かれたのか、近所の城島さん(♂)が
玄関前に。
もう夏だ。
流石に疲れた我が肉体を休める為、帰宅後、風にあたりながら波音を聞いていると
何故か劣情が押さえきれなくなってしまった。
そこで、今日二回目の箱根某所でウチのムル子さんを押し倒す事に。
うむ。
火照ったカラダに冷たい珈琲が気持ち良い。
流石にもう満足である。
と、いうよりもフロントタイヤの2/3、特に右半分がスリックになっておる。
なんだかピレリはいつもこうだな。
それほどフロント依存のバイクではないと思うのだが・・・。
どちらにせよ、なんとかせんとな。
なんだか今日は随分色んな事をした。
まあ、疲労の度合いも尋常ではないが、気持ちの良い虚脱感。
やっぱり休みは楽しまないとね。
良い休日になりました。
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