さあ、諸君。
今日は”製品の価値”について話をしよう。
上の画像におけるバイクの持ち主は、愚かしい程にキ○ガイで残念なくらいバカだが
私の友人の一人だ。
彼は、元々バイクが嫌いだった。
まあ、車は好きで、色々暴れていたようだが。
しかし付け加えるならば、彼は元を正せば車にも興味は無かった。
ここで重要なのは嫌いだった理由ではなく何故好きになったか、だ。
そう、上の画像のように度し難いバカに至るには何らかの理由があった筈だ。
ここで、上の画像のバイクを紹介しておこう。
これはDucatiというイタリアの老舗バイクメーカーの1198という車種のSTDグレードだ。
彼はこれを偶々ネットで見たらしい。
その時は”カッコ良いバイクだな”と思ったらしいが、それでも乗ろうとは思わなかった。
だが、状況が一変したのが3年前。
偶然立ち寄ったバイク屋にて見積もりを取ったのがきっかけで実車を見る事になり
そこで一目惚れをし、その場で購入を決めたそうだ。
まあ、当時は中免すら持ってなかった彼はその後、免許を取りに教習所に通ったらしいが。
かなり極端な例ではあるが、無い話ではない。
寧ろ”乗るきっかけ”を考えれば、その辺に良くあるありふれた話だ。
そしてその後、彼はこのバイクで箱根を走るようになる。
最初は相当後悔したようだが、半年もすると彼は随分なバカになっていたようだ。
ここで疑問が浮かぶ。
何故、一目惚れとはいえ後悔までしたバイクがそれほど好きになったのか。
それは、彼が”バイクで走る楽しさ”に気づいたからだ。
風を切って走る事、非日常の目線、終わった後の疲労感。
それら全てが彼にとって新鮮で味わった事の無い経験だったのだ。
言い換えれば、製品を通して得られたユーザーエクスペリエンスが彼の人生を変えたのだ。
そしてその経験は、バイクの性質上オンリーワンの経験だった。
つまり他では得られないものなのだ。
製品の価値とは、ここにある。
恐らく彼の初恋がただの一目惚れで終わっていたならば、事故をきっかけに終わっていた事だろう。
(そう、彼は事故った後でも同じ事を求めているのだ)
だが、見た目の良さやプレミア性から生ずる所有感や満足感だけでなく、その製品を
通して得られた経験があればこそ、何より飽きずに使ってもらえる源になっているのだ。
これが、ただの便利な道具とエモーショナルな製品との大きな差異だ。
その差は如実にコストに現れる。
エモーショナルな製品は、黙っていても売れるがそうでないモノはコスト競争に
巻き込まれ、結果似たような製品との差異化にはコストを下げるしか訴求できなくなるからだ。
今までの時代もこういう傾向は確かにあった。
だが、情報が一瞬で広がるこれからの時代はもっと極端に勝ち負けが鮮明になる。
簡単に言えば”面白いモノを創れなければ滅ぶ”時代ということだ。
モノの価値とはスペックではなく、笑顔の数なのである。
さあ、今日の講義はここまでだ。
次回は”コモディティ化への抵抗”をお話ししよう。